The family whom he loves
淑女は落ち着き無く周りを見回してはいけません。 そんな英国レディの心得などすっかり忘れてしまったように、エミリー・ホワイトリーはきょろきょろと視線を彷徨わせていた。 まあ、探偵の卵として人一倍強い好奇心と、淑女教育の成果が天秤にかかった結果、前者が勝ったというところだろう。 しかしエミリーにだって言い分はある。 例えばここが見慣れた場所や、招待されたパーティーならこんなに好奇心を刺激されたりしないだろう。 しかし、『ここ』はそうはいかなかった。 なにせエミリーが今ちょこんと座っているソファーのあるこの場所は、世間を騒がす大怪盗、ルパン親子の屋敷なのだから。 しかもルパンJr.こと、ジャン・ルパンはエミリーにとっては恋人である。 恋人の屋敷に初めて訪れるだけでも、おそらくは好奇心が刺激されて仕方ないだろうが、それに加えて怪盗の屋敷なのだから、淑女らしく座っていろという方が無理というものだ。 それにルパンはお茶を持って来る、と席を外していて外観から想像するより広々としたリビングルームにはエミリー一人だけ。 (見たところ普通のお屋敷なんだけど・・・・) リビングのあちこちに視線をやりながら、エミリーは思った。 案内されてこの家についた時にも思ったが、ルパン親子の住処は実に普通の中流階級の屋敷だった。 (それはまあ、見た目から怪盗のお屋敷になってるなんて思ってなかったけど。) わかってはいたけれど、あまりにも普通の家だと妙に拍子抜けというか、なんというか。 (そもそもあまり美術品とか装飾品とかないわよね。) そう思って再度見回したリビングは品の良い家具が置かれているものの、基本的に華美なものは見あたらなかった。 (小説なんかで怪盗の暮らしっていうと、もっと盗んできた物を並べて毎日眺めているような気がしたのに・・・・) 「・・・・僕の家との対話が終わったら、僕に興味を戻してくれるかな、お姫様?」 「ひゃっ!?」 自分の思考に没頭していたエミリーは完全に油断していたところに声をかけられて飛び上がった。 その反応が予想外に大きかったせいか。 「おっと。」 小さな驚きの声と共に食器のふれあう音がしたが、構わずエミリーは振り返った。 そこには。 「ルパン!いつの間に来たの!?」 「僕の可愛いお姫様が、興味津々で部屋を眺めていたからね。邪魔したら悪いかと思って。」 クスクスと微笑みながらエミリーを見つめてくるルパンにエミリーは頬を赤くした。 「つ、つまりは私がきょろきょろしているのを見ていたのね?」 行儀の悪いところを見られてしまった、と恥じ入るエミリーだったが、ルパンは面白そうに笑った。 「君らしくていいじゃないか。僕は、この瞳が好奇心に輝く時が、どんなサファイアも比べものにならないぐらいに美しくて好きだよ。」 そう言うなりソファーの背ごしに瞼に軽いキスを落とされて、エミリーはまん丸く目を見開いてしまったが、その反応さえも愛おしいというようにルパンは目を細める。 けれどさらに手を伸ばそうとして、己がお茶のお盆を持ったままなのを思い出したらしい。 「しまった。君に夢中になっていたらせっかくの紅茶が冷めてしまうね。」 「もう・・・・」 あっさりと歯の浮くような台詞を重ねて、ソファーを回り込んできたルパンがエミリーの前に紅茶のカップを奥のを見ながら、エミリーは小さくため息をついた。 「貴方ったら、よくそんなに恥ずかしい事が言えるわね。」 「そう?僕は思ったままを言っているだけだよ。特に、君に関しては、ね?」 肩に手を回すように抱き寄せられ掛けて、慌ててエミリーは紅茶のカップを取ることでそれを避けた。 そしてその行動に不満そうな表情をのせるルパンを軽く睨む。 「ここには貴方のお父様もいらっしゃるんでしょ?そういう行動は・・・・」 謹んでよね、と常識を聡そうとしたエミリーの言葉はルパン声に遮られた。 「いないよ。」 「え?」 「父は今はフランスに仕事に出ているんだ。だからしばらくは帰ってきていないし、帰ってこない。」 「フランス・・・・仕事・・・・」 (それはやっぱり怪盗のお仕事、ということよね?) 頭の中でルパンの言葉を租借していたエミリーは、急に重大な事に気がついてはっとした。 「ということは・・・・まさか、今、二人きりなの!?」 「そうだね。」 小憎たらしいぐらいにあっさりと答えるルパンに、エミリーは呆れてしまった。 (未婚の男女が二人きりなんて、普通は許されないことなのに。) 貴族社会において、年頃の娘が男性と二人きりなどはしたないとされているし、男性だってそんな無遠慮な誘いはかけないものだ。 もっとも。 「・・・・貴方に常識なんて説く方がおかしいんでしょうね。」 「ま、そういうことかな。」 くくっと笑うルパンにエミリーはため息をついた。 「てっきりお父様もいらっしゃるものだと思ったから、お誘いを受けたのに。」 そう呟いた途端、意外にもルパンは美味しくない物でも口に入れてしまったように顔を顰めた。 「・・・・あの人がいる時に君を呼べるわけがない。」 「え?ダメなの?もしかして私、お父様に嫌われている?」 前に成り行き上顔を合わせた事のあるアルセーヌは随分と気さくに接してくれたから考えなかったが、もしかして、と思った不安は「まさか。」というルパンの言葉に一蹴された。 「父は君を大いに気に入ってるよ。可愛らしくて勇敢なお嬢さんだってね。」 「そう、良かったわ。」 ほっとしたエミリーに対して、何故かルパンはぼそっと呟いた。 「・・・・だから会わせたくないんだけど、ね。」 「え?どうして?」 「それはもちろん、僕が嫉妬するからに決まってるだろ。」 「!」 何を当たり前の事を、と言わんばかりに言われて、エミリーは絶句してしまった。 と、同時にじわじわと頬に熱を感じて、鼓動が早くなる。 それがわかっているかのように、ルパンはアメジスト色の瞳を怪しく艶めかせてのぞき込んでくる。 「ね、エミリー?僕と二人ってわかって少しはドキドキしてくれる?」 「っっ!あ、あなた・・・・!」 わかってやっているでしょう!?と叫びたくなるのをエミリーはぎりぎり飲み込んだ。 そこで認めてしまうとなんだか負けた気になるような気がしたのだ。 とはいえ、心臓というのは正直な物で、ルパンの瞳を見つめていたらどんどん早いリズムを刻み始めてしまった。 このままではまずい、というレディの本能の警告に、エミリーはとっさにさっきまで見回していた部屋の様子に視線を滑らせる。 と ―― 「あ ――」 不思議なことに、その時初めて、エミリーは窓際に暖炉の上に置かれたその存在に気がついた。 大切そうにレースのしかれた上に置かれた・・・・。 「エミリー、何見て・・・・ああ。」 エミリーの興味が本格的に逸れてしまった事に気がついたのか、少し苛立ったような口調で口を開いたルパンは、その視線の先を追って、急に毒気をそがれたように呟いた。 そして軽く息を吐くとエミリーの隣から立ち上がり、暖炉の上のそれをもってまた戻ってくる。 そして、ことんと、エミリーの前に置かれたのは、小さな写真立てと、その中で微笑む美しい女性の写真。 「僕の母、クラリス・デティーグだよ。」 「この方が・・・・。」 思わずエミリーは服の下に付けているローズクォーツのペンダントを押さえた。 (ルパンのお母様で、スペル・バウンドに殺された・・・・) かつてルパンがその敵を取ろうとスペル・バウンドへ潜入した時に、アルセーヌから事情を聞かされていて、エミリー自身、どんな人だったのだろうと思っていたが、目の前の写真立ての女性は想像していたどれとも違っていた。 「綺麗だろう?」 照れくささなどは感じさせずいっそ誇らしそうにそう言うルパンに、エミリーは素直に頷いた。 「ええ、とても。」 写真の中のクラリスは、とても可憐に微笑んでいる女性だった。 アルセーヌの求婚に応えて家を飛び出し、彼の怪盗家業も支えていたというからもっと強そうな人なのかと思っていたが、本当に一輪の花のように綺麗で可愛らしい女性だった。 美しいブロンドの髪と面差しがどこかルパンに似ていて、とても暖かな気持ちがエミリーの心に生まれる。 「貴方はお母様にも似ているのね。」 「そうだろ・・・・え、にも?」 力強くうなずこうとして、ふと引っかかったようにルパンが聞き返してくるから、エミリーは小首をかしげて言った。 「ええ。だって容姿はお母様に似ているみたいだけれど、性格はお父様似よね?」 その瞬間のルパンの顔はなかなかの見物だった。 ものすごく嫌そうな・・・・でも、ほんの少し照れくさそうな。 そんな感情が素直に表に出ている年相応な顔。 思わずじっと見つめてしまうエミリーに気がついたのか、ばつがわるそうに口元を隠してルパンは早口に言った。 「完全に否定はしないけど、あまり一緒にしてほしくはない、かな。父ほど捕らえどこがなくはないつもりなんだけど?」 肩をすくめてそう言うルパンに、冗談半分にエミリーが抗議の声を上げようとした、その時。 「えええ〜!?Jr.ってば酷いじゃないか〜〜〜〜!」 「「!?」」 ばあんっとリビングの扉を開ける音と共に飛び込んできた闖入者に、ルパンとエミリーは同時にぎょっとして振り返った。 その視線が捕らえたのは。 「父さん!?」 「おじさま!」 目を丸くする二人の視線を受け止めたアルセーヌ・ルパンは実に満足そうに笑って言った。 「そうだ。パパ参上だよ。それにしても酷いじゃないかJr.〜。私がいない間にお嬢さんを連れてきてしまうなんてえ。」 「っ!あ、あなたがいたらこういう騒ぎになるってわかってたから避けたんですよ!!」 どんどんと入ってきてルパンに詰め寄るアルセーヌに、一足先に我に返ったらしいルパンが抗議する声が響いた。 途端にアルセーヌが拗ねたように顔を顰める。 「ええ〜!?私だってお嬢さんとお話したい〜〜〜!」 「父さん!!」 「それにパパと一緒にして欲しくないなんて酷いぞ、Jr.。昔はパパみたいになりたいってパパを追いかけ回していたのに〜。」 この発言にはエミリーが思わず反応してしまった。 「え?そうなんですか?」 「そうなんだよ、お嬢さん。小さいJr.はそれはもう可愛くって、将来はパパみたいにカッコイイ怪盗になるんだーって」 「父さんっっっ!」 にこにこ笑いながら可愛らしい過去を暴露するアルセーヌに、ルパンはいろいろなものの沸点を軽くオーバーしたらしい。 「だいたい、なんでここにいるんだよ!?フランスでの仕事は!?まだ終わってないでしょう!」 「え〜、だってJr.がお嬢さんを家に呼んだって情報が来たから〜。」 「どこからですかっ!」 たちまちぎゃんぎゃんと言い合いに発展してしまったルパンとアルセーヌを、エミリーは半ば呆然と見つめてしまった。 (言い合いというより、ルパンがお父様に遊ばれている感じだけど。) 口を挟もうという気にならないのは、多分そのせいもあるのかもしれない。 普段は甘い言葉で自分を翻弄するルパンの新しい一面を見られたような気がして、得した気分にもなってしまう。 「肝心な時はいないくせに、こういう時にはどうして帰ってくるんだ!」 「いいだろ、ここはパパの家だもーん。はっ、それともJr.、まさかお嬢さんに良からぬ事を・・・・」 「だからっ!」 (からかわれてるわ、完全に。) 一歩置いて行かれたエミリーからすると、完全にルパンがアルセーヌの手玉に取られていたが、勢いのついてしまったルパンはアルセーヌに詰め寄っている。 (でも・・・・なんだか仲がよさそう。) ルパンとアルセーヌのやりとりを見ながら、ふとエミリーは小さく笑ってしまった。 明らかにアルセーヌは楽しそうだが、遠慮無く父に文句を言っているルパンも普段の紳士然とした態度よりも自然に見えたから。 ―― その時、ふっと空気が動いた気がして・・・・ ―― 『こどもみたいでしょ?』 「・・・・え?」 優しい声が聞こえた気がした。 聞いた事のない女性の声が。 思わず部屋を見回したが、エミリーの様子に気がついていないらしいルパンとアルセーヌしか人は居ず、元気な言い合いはまだ続いている。 (気のせい・・・・?) そう思った時、ふと窓に映った自分の姿が見えて・・・・エミリーははっとした。 窓に映った自分の横には、一人の女性がたたずんでいたから。 もう一度、自分の横を見回してみても実際に人は居ない。 ―― 否、当たり前だ。 窓ガラスに映っているその女性は・・・・目の前の机に置かれた小さな写真立てにいる、その人だから。 不思議と怖いとは思わなかった。 窓ガラスを通してルパンとアルセーヌを見つめるその瞳がとても優しかったせいかもしれない。 そして、彼女はゆっくりとそのすみれ色の瞳をエミリーに移して微笑んだ。 ―― 『よろしくね?』 そう言われている、とすぐにわかった。 だから、エミリーは大きく頷く。 (私はルパンに振り回されてばっかりだけど、それでも、意地悪で大胆で強引で、でも寂しがり屋なルパンが大好きだから、ずっと側にいます。) 口には出さなかった。 でも、伝わったのだとわかった。 なぜならば、ゆっくりと笑った彼女は静かに窓ガラスの風景に溶けるように消えていったから。 「・・・・エミリー?」 「!」 不意に呼びかけられて我に返ったエミリーは、真っ先に飛び込んできたアメジスト色の瞳にぎょっとする。 いつの間にか言い合いをしていたはずの親子はそろってエミリーをのぞき込んでいた。 「どうかしたの?」 「それは僕の台詞だね。気がついたら君が心ここにあらずという風で向こうを見つめてるから・・・・。」 「そう・・・・。」 頷いてエミリーは思った。 あのわずかな時間は、クラリスが自分と話すために作った不思議な空間だったのかも知れない、と。 (優しい、お母様。) 改めてエミリーは自分を少し心配そうに見下ろすルパンを見つめる。 愛されていたからこそ、早くに死に別れたのは辛かっただろう。 だから。 「ルパン。」 「?」 「私が必ずずっと一緒にいるから、一緒に幸せになりましょうね!」 しっかりとした意志を込めて彼の母親に誓うようにエミリーはそう言ったのだった。 もちろん ―― 「っっっ!?」 不意打ちの台詞に、ルパンが赤くなり、高らかにアルセーヌの口笛が響きわたったのは言うまでもない。 〜 END 〜 |